ヨハネの福音書6章35節

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

<関連聖句>

1.詩篇23篇1節―6節
2.詩篇107篇1節―9節
3.エレミヤ書31章10節―14節

<メッセージ>

悪魔は四十日四十夜断食したあとで空腹を覚えたイエスさまを試みるために「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」と言ったのに対してイエス様は「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによって生きる』と書いてある。」と言って誘惑に勝利すると、悪魔はみことばをもって試たり、イエス様を非常に高い山に連れて行って、この世のすべての国々とその栄華を見せて「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」と悪魔の支配に屈するように試みましたが、イエス様は「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」と仰せられ、悪魔の試みに勝利されたのです(マタイの福音書4章1節―10節)。

ところで、ヘブル人への手紙7章24節―26節は「キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとって必要な方です。」と私たちに一番必要とされているのはこの世に属するものではなく罪過と罪の中に死んでいた者を生き返らせてくださるイエス様であることを語っています。

心の飢え乾きを覚えた時、今日の聖句「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』」を思い起こし、心が、目線がイエス様に向いていたかどうかを、立ち位置がいのちの道にあるかどうか、イエス様との関係が正しい関係にあるかどうかを吟味し、ヘブル人への手紙4章15節―16節が「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」と勧めているように十字架の主を、恵みとまことに満ちておられ、すべてを益としてくださる主を見上げて生きようではありませんか