ペテロ手紙 第二 1章2節

私たち主イエスを知るこによって、恵み平安が、あなたがた上にますます豊かにされますように。

<関連聖句>

1.イザヤ書9章6節-7節
2.イザヤ書53章1節-8節
3.詩篇89篇11節-18節

<メッセージ>

現代はいつ何が起こるかわからないような時代になり、不安や恐れをいだかせる要素が蔓延しているため、心平安を得るために人は音楽療法をはじめさまざまな方法を考え出しましたが、一時的には効果があっても、恐れや思い煩いをもたらす問題を解決するこはできないではないでしょうか。

ころで、ヨハネ福音書14章27節は「わたしは、あなたがたに平安を残します。

わたしは、あなたがたにわたし平安を与えます。

わたしがあなたがたに与えるは、こ世が与えるは違います。

あなたがたは心を騒がしてはなりません。

恐れてはなりません。」、こ世が与えるこできない平安をイエス様は与えるこができるこを語っています。

ですから、今日聖句が「神私たち主イエスを知るこによって、恵み平安が、あなたがた上にますます豊かにされますように。」、「神私たち主イエスを知るこ」が必要であるこを語っています。

ころで、「神は、実に、そり子をお与えになったほどに、世を愛された。

それは御子を信じる者が、ひして滅びるこなく、永遠ちを持つためであり、神が御子を世に遣わされたは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

(ヨハネ福音書3章16節-17節)」いう聖句は、神がどような方であるかを知らせてくださっているではないでしょうか。

キリスト者でも恐れたり思い煩ったりしますが、イエス様を信じる事によって救いは恵みによるもであるこを知ったパウロは、人々にいつまでも神恵みにどまっているように勧められましたように(使徒働き13章43節)、主はすべてをご存じであるだけでなく、いつも私たちを背負っていてくださる方である「あわれみに満ちた神」「恵みまこに満ちておられるイエス様」を思い起こす、御霊お働きによって心に不思議な平安が与えられるではないでしょうか。

私たち信仰がなくならないようにりなしていてくださるだけでなく、信仰を完成してくださるイエス様から目を離さないように生きようではありませんか。