箴言22章4節

謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。

<関連聖句>

1.列王記 第一 3章3節―13節
2.箴言15章33節
3.箴言18章12節
4.コロサイ人への手紙3章2節―12節

<メッセージ>

イエス様は「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています、その聖書が、わたしについて証言しているのです。

それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのことに来ようとしません。

わたしは人からの栄誉は受けません。

ただ、わたしはあなたがたを知っています。

あなたがたのうちには、神の愛がありません。

わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。

ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。

互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか。

(ヨハネの福音書5章39節―44節)」と、聖書を学んでいてもイエス様自身との関係を持っておられない、すなわち世の人々は人からの栄誉やこの世の豊かさを求めて生きているのではないでしょうか。

一方、今日の聖句は「謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。」と、富や誉れだけでなく、いのちを得る秘訣は「謙遜」と「主を恐れる」ことにあることを語っています。

「謙遜」は、王となり主を愛していたソロモン(列王記 第一 3章3節)に神が「あなたに何を与えようか。

願え。」と仰せられると、彼が「今、知恵と知識を私に下さい。

そうすれば、私はこの民の前に出はいりいたします。

さもなければ、だれに、この大いなる、あなたの民をさばくことができましょうか。

(歴代誌 第二 1章10節)」と、答えられたことばに見ることができるように、「主を恐れる」、すなわち畏敬の念をもって神がどんなに偉大な方であるかを知り、自分が被造物にすぎないことを知ってへりくだることであり、世の人々が考えているような他者と自分を比較して卑下するような人間関係によるものではないのではないでしょうか。

なぜなら、人は自分よりも優れた人には自分を卑下して謙遜そうに振舞っても、自分の方が優位に立っていると判断すると高慢な態度を取るようなことをするのではないでしょうか。

ところで、ペテロの手紙 第一 1章5節―7節は「あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです。

そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。

いまは、しばらくの間、さまざまな試練の中で、悲しまなければならないのですが、あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。」と、キリスト者には神からの栄誉が与えられることを語っていますが、そのためにはさまざまな試練を通されることを語っていますが、「試練」は謙遜を身につけるためであり、主がどんな偉大な方であるかを知るためであり、神からの称賛と光栄と栄誉が与えられるためのものであることを語っているみことばを心に据えて若い時のソロモンのように主を愛して生きようではありませんか。