ピリピ人への手紙4章19節
私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
<関連聖句>
1.詩篇23篇1節―6節
2.詩篇34篇9節―10節
3.ヨハネの福音書6章32節―35節
4.ローマ人への手紙8章27節―35節
<メッセージ>
神が「あなたに何を与えようか。
願え。」と仰せられると、ソロモンは「あなたは私の父ダビデに大いなる恵みを施されましたが、今度は父に代わって私を王とされました。
そこで今、神、主よ、私の父ダビデになさったあなたの約束を堅く守ってください。
あなたは、地のちりのようにおぼただしい民の上に、私を王とされたからです。
今、知恵と知識を私に下さい。
さもなければ、だれに、この大いなる、あなたの民をさばくことができましょうか。」と答えたので、神は「そのようなことがあなたの心にあり、あなたが富をも、財宝をも、誉れをも、あなたを憎む者たちのいのちをも求めず、さらに長寿をも求めず、むしろ、わたしがあなたを立ててわたしの民の王とした、その民をさばくことができるようにと、自分のために知恵と知識を求めたので、その知恵と知識とはあなたのものになった。
そのうえ、わたしはあなたの前の、また後の王たちにもないほどの富と財宝と誉をあなたに与えよう。」と、ソロモンは自分の欲を満たすような願いをされなかったので、神はソロモンの願った以上のものを与えることを約束されたのですが(歴代誌 第二 1章7節―12節)、ソロモンは神を愛していたので(列王記 第一 3章3節)欲に支配されずに神から与えられた立場をわきまえていたので神のみこころにかなった願い(列王記 第一 3章10節)を申し上げることができたのではないでしょうか。
世の人々の願いは欲を満たすことにありますが、今日の聖句「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」を心に据え、イスラエルの民のように、不平不満を抱えならぶつぶつ言って主の怒りを招くような生き方ではなく、キリスト・イエスにある神の愛が与えられていること、主はすべての人の心をご存知であるだけでなく、必要なものは私たちの良い羊飼いである主が与えてくださるという信仰に生きようではありませんか。