あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。―光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのですーそのためには、主に喜ばれることが何であるのかを見分けなさい。(エペソ人への手紙5章8節―10節)

1.使徒の働き26章9節―20節
2.ローマ人への手紙12章2節―3節
3. ピリピ人への手紙2章6節―16節
4.ヨハネの手紙第一1章5節―2章2節

ヨハネはイエス様のことを「ことば」と表現されてから「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」と、イエス様のことを光と称しておられるのは、イザヤ書8章22節―9章2節が「地を見ると、見よ。苦難とやみ、苦悩と暗やみ、暗黒、追放された者。しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」と、またイエス様ご自身が「わたしは世の光です。(ヨハネの福音書8章12節)」と、「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。(ヨハネの福音書12章46節)」と仰せられたことに端を発しているのではないでしょうか。キリスト者を迫害するために向かっていたダマスコの途上で太陽よりも明るく輝いている天からの光を見たパウロはキリスト者となり「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。―光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのですー」と語ってから、光の子どもらしく生きるための秘訣を「主に喜ばれることが何であるのかを見分けなさい。」と勧めているように、事を始める前に、主の前に心を静めて、その志が主からのものなのか、また、自分を喜ばせようとしているのか、主が喜ばれることなのかどうかを吟味し、光の実を豊かに結ぶために世の光であるキリストに留まるように心がけようではありませんか。