人には、食べたり飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだすよりほかに、何も良いことがない。これもまた、神の御手によることがわかった。実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか。(伝道者の書2章24節―25節)

1.伝道者の書3章12節―13節
2.伝道者の書5章18節―20節
3.ルカの福音書12章13節―21節
4.マタイの福音書6章27節―34節

創世記1章29節―30節に「神は仰せられた。『見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、全ての緑の草を与える。』そのようになった。」と語っているように、神は人が生きるために食べ物を備えてくださったのですが、イエス様はたとえ話として、畑が豊作になった金持ちが「たましいよ。これから何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ」と言うと、神は「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」と言われた。「自分のためにたくわえても、神の前にたくわえない者はこのとおりです。」と仰せられましたが、ソロモンは「人には、食べたり飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだすよりほかに、何も良いことがない。これもまた、神の御手によることがわかった。実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか。」と、食事をすることも、労苦も神からの賜物と、考えるように勧めています。イエス様は人としてこの世におられた時多くの苦しみを受けましたが、そのことによって従順を学ばれたこと、死があって復活が可能になりました。ヘブル人への手紙12章11節は苦しみのあとで平安な義の実を結ぶことができることを、ペテロはあらゆる恵みの神が苦しみのあとで私たちを完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださる、と語っています(ペテロの手紙第一5章10節)。食事だけでなく、労苦にも意味があることを心に据えて、すべてを神からの賜物と受け止めるように心がけようではありませんか。