キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。アーメン(ガラテヤ人への手紙1章4節ー5節)

1.マルコの福音書14章32節ー36節
2.ヨハネの福音書6章38節ー40節
3.ヨハネの福音書10章9節ー18節
4.ヨハネの福音書12章20節ー28節

神は人をご自身のかたちとして創造され、祝福されてから「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」と、支配する権威を与えられたのですが、「善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と神が警告したにもかかわらず、神の警告を直接聞いていなかったエバに悪魔は神が禁じた本当の理由は「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と、偽りをもってエバが罪を犯すように誘惑したので、エバだけでなくアダムも食べて罪を犯したために、キリストを信じる前の状態についてパウロが「空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。(エペソ人への手紙2章2節)」と、主がパウロをイスラエルの民と異邦人に遣わす理由を「彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである(使徒の働き26章18節)」と、今日の聖句が「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。」と語っているように、悪の世界から救われるには罪の赦しが不可欠であるために罪のない御子イエス・キリストを人としてお遣わしになられ、イエス様は父のみこころを行うために十字架の死まで従われたのですが、その背後に神の愛、神のご計画があったことを心に据えて、「どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。アーメン」と、バッハが作品の最後にS .D.G.(Soli Deo Glory=神にのみ栄光があるように)と書かれたように、主に栄光を帰して生きるように心がけようではありませんか。