私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。(ヘブル人への手紙13章14節ー15節)

1.歴代誌第二20章12節ー30節
2.マタイの福音書6章7節ー9節
3.ヨハネの福音書15章2節ー5節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー9節 

弟子のひとりから「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」と、言われたイエス様は、祈るときにはまず「父よ。御名があがめられますように。」と(ルカの福音書11章1節ー2節)、マタイの福音書6章9節には「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」と、祈る時の留意点を教えてくださっています。死からよみがえられたイエス様に弟子たちが「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」と尋ねたように、ユダヤ人たちもメシアは国を再興してくださる、と思っていたのですが、イエス様は弟子たちに「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。」と仰られるとともに「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。」イスラエルの復興よりもキリストを伝えることの大切さを話されたのですが、「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」とイエス様にもとに喜んで帰ってきた七十人の弟子たちに「悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」と仰せられてから聖霊によって喜びにあふれて「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。」と、ご自分に与えられている使命が十字架の死であることをご存じでありながら、賛美のいけにえを捧げたのでした。ですから、今日の聖句は「今日の聖句が「私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」と勧めているのではないでしょうか。人は誰でも死を迎えますが、私たちは滅びる者ではなく、死は天国への門であり死の瞬間にイエス様と同じ栄光の姿に変えられ、永遠の都、死も悲しみも、痛みもない天国で永遠に生きる将来があることを、この世での生涯は永遠の視点から見れば見えないほどの年月であることを忘れずに、賛美のいけにえを捧げるように心がけようではありませんか。