私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。(ミカ書7章8節)
1.箴言24章15節ー16節
2.詩篇37篇23節ー24節
3.イザヤ書8章22節ー9章7節
4.コリント人への手紙第二4章8節ー14節
神はアダムを創造されてから「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のためにふさわしい助け手を造ろう。」と仰せられ、アダムのあばら骨の一つを取ってエバを創造されたのですが、「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」という神の警告を直接聞いていなかったエバはサタンの偽りのことばを信じて食べてアダムに渡すとアダムも食べて罪を犯し、主からそのことを咎められると、アダムはエバに責任転嫁をしてアダムとエバの関係に歪みが入ってしまったのですが、そこには偽りをもって罪を犯すように促した悪魔の働きがあったのでした。ですから、パウロは「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ人への手紙6章12節)」と、「敵」は人ではなく、人の背後に働く悪魔や悪霊であることを心に据えないと、ウクライナや中近東やさまざまな地域における紛争があるように、人を敵視して攻撃し合ってしまうのではないでしょうか。大祭司やユダヤ人の指導者たちをはじめたみは妬みからイエス様を十字架にかけるように叫んだのでバラバの代わりに十字架にかけられましたが、そこには罪人を救うためのご計画があったのでした。十字架にかけらたイエス様に「神殿。を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」と言ってののしったりあざけったり、同じように十字架にかけられている犯罪人たちからも悪口を言われたりしましたが、三日目に死からよみがえられ、死の力を持つ悪魔を滅ぼされ、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださったのでした(ヘブル人への手紙2章14節ー15節)。今日の聖句「「私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。」をイエス様の生涯と重なり合わせて、人間関係にのみ目や心を向けさるような悪魔の策略に陥らないように(マタイの福音書16章23節)、悪魔に勝利された人の光であり、すべてのことを益としてくださることのできる方であり信仰を完成させてくださるイエス様がいつも共にいてくださることを忘れないようにしようではありませんか。(昨日のデボーションで読み返す時間がなかったものですから、文字変換で聖霊が精霊になっていたのに気がつきませんでした。すみませんでした。)
