主は「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(コリント人への手紙第二12章9節)

1.士師記6章7節ー16節
2.歴代誌第二20章1節ー24節
3.コリント人への手紙第一2章1節ー5節
4.ピリピ人への手紙3章2節ー16節

パウロは、第三の天、すなわちパラダイスにまで引き上げられ、人間には語ることを許されていない、口に出す事できないことばを聞いたのは「自分」と言わずに「このような人について私は誇るのです。しかし、私自身については、自分の弱さ以外には誇りません。」と語るとともに「高ぶることのないようにと、肉体に一つとげが与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。」と、肉体に一つのとげが与えられている理由をご存知でありながら、三度肉体に与えられたとげを去らせてくださるように願いましたが、主からの答えは「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」でした。パウロは主のことばを真摯に受け止め、再び「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」と語っています。通常、人は弱さを見せないようにしますし、弱さを強くしなくてはならないようにトレーニングをしたり、心理学に走ったりしがちですが、パウロは弱さを誇る、と、この世とは違った生き方をされたのでした。どんなに強そうに見せていても、すべての人は何らかの弱さを持っているのではないでしょうか。パウロのことを見下げるような人がいたコリントの教会に行った時、パラダイスにまで行った経験のあるパウロでさえ肉に生きているキリスト者がいるコリントの教会に行った時、弱く、恐れおののいていましたが「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵びささえられず、神の力に支えられるためでした。(コリント人への手紙第一2章3節ー5節)」と告白していますが、その秘訣は、十字架につけられたイエス・リストのことだけを考えたのでした(コリント人への手紙第一2章1節ー5節)。パウロが、ヘブル人への手紙12章3節も勧めているように、私たちの心が元気を失ったり、疲れ果ててしあわないため十字架を忍ばれたイエス様に目を留め天からの力をいただこうではありませんか。