神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。(詩篇51編17節)

1.イザヤ書57章15節ー19節
2.イザヤ書66章1節ー2節
3.ルカの福音書18章9節ー14節
4.ヤコブの手紙4章4節ー10節

パウロはパリサイ人として生きていた時には律法による自分の義に生き、自分の考えで物事を判断しキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者になり聖霊に満たされたことによって真理を知る者となられ「私には、自分のしていることわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。」と語ってから「もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。」と告白してから「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と、自分に失望しましたが、その結果として今日の聖句が「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」と語っているように、「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、のちに来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ローマ人への手紙8章38節ー39節)」と神の愛の真実さと深さを知る者となられたのでした。ヤコブが語っているように私たちは後悔するような多くの失敗をしますが、そのような時恵みの座に行き、今日の聖句を思い起こすと共に、罪に定められないように祈っていてくださる恵みとまことに満ちておられる主を仰ぎ見て十字架で示された神の愛を忘れないようにしようではありませんか。