わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43章7節)

1.イザヤ書60章1節ー2節
2.エレミヤ書18章1節ー11節
3.ヨハネの福音書17章18節ー24節
4.コリント人への手紙第二3章6節ー18節

今日の聖句「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」の前句イザヤ書43章1節に「だが、今、ヤコブよ。」とまず語っているのはイスラエルの民が主の道を、主の教えに聞き従わなかったために、主がダビデに子孫が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。」と仰せられたように、バビロンに捕囚となるようなことがありましたが、「しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵み(口語訳:あわれに、英訳:愛)をサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。」とダビデに約束されたように(サムエル記第二7章14節ー15節)、主は「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」と仰せられるとともに、どんな状況下にあっても主はともにいてくださる救い主であること、主の目には高価で尊く主に愛されている存在であること、そして「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」と語っておられます。パウロが「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。(エペソ人への手紙2章10節)」と、私たちもイエス様を信じたことによってイスラエルの民と同じように神の家族とされているために、イスラエルの民同様、主の栄光を現す立場にあるために、神に愛されているがゆえに平安な義の実を結ぶために、主は私たちを訓練されることを、私たちの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないように、その模範として信仰の創始者であり完成者であるイエス様が人としてこの世におられたとき、どのように生きられたかを考えるようにヘブル人への手紙12章6節ー11節は勧めています。世の人々は一時的な自分の栄光を求めて努力していますが、キリスト者は恵みによって永遠の栄光の中に導き入れらていることを(ペテロの手紙第一5章10節)、どんな被造物も、私たちの失敗さえもキリスト・イエスにある神の愛から引き離すことができないことを(ローマ人への手紙8章33節ー39節)、主の栄光のためにキリストにあって新しく造られた者であることを日々新たにされていることを感謝して生きるように心がけようではありませんか。