あなたを贖う主、イスラエルのせいなる方はこう仰せられる。「わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたに益となることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。」(イザヤ書48章17節)

1.出エジプト記13章17節ー22節
2.ヨシュア記3章1節ー4節
3.ヨハネの福音書10章1節ー16節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー11節 

パウロは「すべてのことは、してもよいのです。」と語ってから「しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。」と語っています(コリント人への手紙第一10章23節)。なぜなら、ヤコブが「人の怒りは神の義を実現するものではありません。」と、ソロモンが日の下、すなわちこの世を見て「私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。(伝道者の書4章4節)」と語っているように、怒りやねたみなど、動機が悪い場合があるからではないでしょうか。ところで、今日の聖句は「あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。『わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたに益となることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。』」と、私たちを贖ってくださる主は聖なる方で、個人的な関係をもってくださる方であり、私たちの益となることを教えてくださるだけでなく、私たちが歩むべき道に導いてくださる方であることを語っています。ですから、ダビデは「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。(詩篇37篇23節ー24節)」と語っているのではないでしょうか。ヘブル人への手紙12章3節は私たちの心が元気を失ったり、疲れ果ててしまわないために十字架を忍ばれた信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないように勧めてから、「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずらかせようと、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」と語っているみことばを忘れないようにしようではありませんか。