私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。(詩篇62篇1節)

1.ヨブ記16章19節ー21節
2. 伝道者の書3章1節ー11節
3.イザヤ書40章27節ー31節
4. 哀歌3章22節ー26節 

ソロモンは「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」と語ってから「植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。・・・・」と、生まれてからこの世の去るまでの間に人が経験することについて語ってから「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」と神の時があることを、神は人を他の被造物と違ってご自身のかたちとして創造されたがゆえに「神はまた、人の心に永遠を与えられた。」と語りますが、「しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」と、人は神ではないので神が行われることをすべて理解することはできないことをも語っています。イエス様は「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あながたに必要なものを知っておられるからです。」と、異邦人、すなわち全能なる神をご存知ない世の人々と同じような祈り方をしないように仰せられました(マタイの福音書6章8節)。この世の神々は私たちの必要を知らないばかりか人に世話してもらわなくてはならない存在で、救いをもたらすことはできませんが、不可能なことがない神は、私たちのことを気にかけてくださっているのです。今日の聖句は「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。」とまず語ってから「私の望みは神から来るからだ。」と神から与えられる望みがあることを、そして、その望みを知るためには「黙って神を待ち望む」と語っています。私たちはとかく、一方的に自分の願いを祈って終えて祈りの座から離れるのではないでしょうか。「黙る」ということは、単に「沈黙する」、というよりも、自分の思いや感情を鎮め、神がどのような方なのかを、主の時があることを思うこと、すなわち私たちのたましいが主に向かうためのものであり、「祈り」の本質に触れるものではないでしょうか。主の語り掛けを聞けるように神の御心をご存知な聖霊様に助けていただこうではありませんか。