主の聖徒たちの死は主の目に尊い。(詩篇116篇15節)

1.ヨハネの福音書3章16節ー18節
2.ヨハネの福音書11章25節ー26節
3.コリント人への手紙第一15章3節ー21節
4.ピリピ人への手紙1章21節ー25節

パウロは「神は、すべての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。(テモテへの手紙第一2章4節ー5節)」と、イエス様は「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。(ヨハネの福音書6章38節ー40節)」と語っています。6月23日(月)は宝塚で、24日(火)は大阪で集会をして25日に帰京する予定で大阪におりましたので、6月25日(水)の一麦大阪教会の創始者原村ヒデ子先生の告別式に参列させていただきました。お花に囲まれて先生は安らかなお顔で手は祈りの形に組まれていました。説教は下條末紀子先生で二人の牧師先生がお証しをされました。先生方のお話を伺って非常に恵まれました。キリスト者にとっての死は永遠の世界に、パラダイスに入るドアのようなものであることを心に据えて、キリスト者は滅びる者ではなく、永遠のいのちが与えられ永遠に生きる者とされているだけでなく、今日の聖句は「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」と語っています。キリスト者の国籍は死によって無効になってしまうようなこの世の国籍ではなく、天にあることを忘れないようにしようではありませんか