民よ。どんなときにも、神を信頼せよ。あなたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避けどころである。(詩篇62篇9節)

1.詩篇94篇16節ー19節
2.詩篇115篇9節ー15節
3.エレミヤ書9章23節ー24節
4.哀歌3章40節ー41節

イエス様は弟子たちにイエス様にあって平安を持つことを話されてから、「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネの福音書16章33節)」と、ヤコブが「私たちの兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。(ヤコブの手紙1章2節)」と語っているように、この世にあって信仰の試練に会い、いろいろなことを経験しますが、ダビデは「民よ。どんなときにも、神を信頼せよ。あなたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避けどころである。」と勧めていますが、そのためには神がどのような方であるのかを知る必要が不可欠ではないでしょうか。ヨハネはイエス様は恵みとまことに満ちておられる方であり、私たちは恵みの上にさらに恵みを受ける者とされていることを(ヨハネの福音書1章14節及び16節)、パウロは「私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。神はどのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。(コリント人への手紙第二 1章3節ー4節)」と語っています。詩篇94篇16節ー19節が「だれが、私のために、悪を行う者に向かって立ち上がるのでしょう。だれが、私のために、不法を行う者に向かって堅く立つのでしょう。もしも主が私の助けでなかったら、私のたましいはただちに沈黙のうちに住んだことでしょう。もしも私が『私の足はよろけます』と言ったとすれば、主よ。あなたの恵みが私をささえてくださいますように。私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばせてくださいますように。」と願っているように、主が私たちの避けどころであることを忘れずに、私たちも主を信頼して心のうちを正直に申しあげて、主からの平安をいただこうではありませんか。