あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。それは、私が、いのちの光うちに、神の御前を歩むためでした。(詩篇56篇13 節)
1.ヨハネの福音書1章1節ー13節
2.ガラテヤ人への手紙5章2節ー24節
3. コロサイ人への手紙1章25節-2章8節
4.ヨハネの手紙第一1章1節ー2章2節
今日の聖句の冒頭にまず「『遠くの人の、もの言わぬ鳩』の調べに合わせて。ダビデのミクタム。」とあります。ところでユダヤ人の伝承では「遠くの人の、もの言わぬ鳩」を「故郷から遠く離されたイスラエル人」と解釈しているようです。その後「ペリシテ人が、ガテでダビデを捕らえたときに」とあります。ダビデがゴリアテを倒したのを機に、民がペリシテ人との戦いに勝利して凱旋した時、町々から女性たちが出て来て「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」と笑いながらくり返し歌ったためにサウルは非常に怒って「ダビデに万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」と思い、その日以来ダビデを疑いの目で見るようになり殺そうとしたので、ダビデは、ゴリアテの出身地であったガテに彼の剣をもって逃げ込んだのですが、すぐにダビデであることがわかってしまったので、ダビデはアキシュ王を恐れて気が違ったようにふるまい、無事アドラムのほら穴に避難したときのことを思わされます(サムエル記 第一17章45節―18章12節、21章1節―22章1節)。サウルもサウルの軍隊も恐れていたゴリアテを主の御名によって倒したダビデでしたが、自分のいのちを愛するがゆえにサウルを、アキシュ王を恐れ、自分の考えで行動したのですが、「あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。」と、主が死から救ってくださるだけでなく、日々の歩みを確かにしてくださるのを認めるとともにその理由として「それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。」と語っています。イエス様は「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです(ヨハネの福音書8章12節)」と仰せられました。キリスト者は人の光であるイエス・キリストに属する者であり、キリストにあって神の御前を歩む者とされていることを心に据えて、つまずかないように守ることのできる(ユダの手紙24節)主を信頼してどこに行くにも、どんな時にも自分の考えにとらわれずに主を認めて(箴言3章5節ー6節)生活しようではありませんか。