命令を守る者はわざわいを知らない。知恵ある者の心は時とさばきを知っている。(伝道者の書8章5節)

1.詩篇37篇1節ー40節
2.伝道者の書3章1節ー11節
3.伝道者の書9章11節ー12節
4.テサロニケへの手紙第一5章16節ー18節

ソロモンは「命令を守る者はわざわいを知らない。知恵ある者の心は時とさばきを知っている。」と語っていますが、イエス様は「私たちはあなたが神から来られたことを信じます。」と申し上げた弟子たちに「あなたがたは今、信じているのですか。見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。いや、すでに来ています。」と話されてから「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。」とも語ってから「あなたがたは、世にあっては患難がある。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」と(ヨハネの福音書16章30節ー33節)、パウロが「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への手紙第一10章13節)」と語っているように、キリスト者でも世の人々、いや弟子たちが殉教の死を遂げたように、世の人々が経験しないような苦難に会いますが、パトモス島に島流しにあったヨハネやヨブが「私はあなたのうわさを耳で聞いていましたが。しかし、今、この目であなたを見ました。(ヨブ記42章5節)」と、語っているように苦難、わざわいにあっている最中にそれまでは味わったことのない主を体験するために、またパウロが語っているように、私たちの神はすべてのことを働かせて益としてくださることを知っているので、「わざわい」がわざいでなくなるのではないでしょうか。神の知恵であるみことばによって今は恵みの時、救いの時であるとともに、やがて悪がさばかれる神の時があることを知る者とされていることを感謝しようではありませんか。