ああ、私に、生ける者の地で主のいつくしみを見ることが信じられなかったならー待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。(詩篇27篇13節ー14節)

1.詩篇42篇1節ー11節
2.詩篇130篇1節ー8節
3.イザヤ書40章27節ー31節
4.ピリピ人への手紙3章17節ー21節

イエス様は「あなたがたは、世にあっては患難があります。」と仰せられただけでなく、「しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」と仰せられたように、律法学者やパリサイ人からことばの罠をしかけられ、妬まれ、罪人の代わりに十字架にかけられ、あざけられ、ののしられ、悪口を言われ敗北者のように見えましたが、三日目に死からよみがえられ、勝利者となられたのでした。今日の前句に「私を、私の仇の意のままに、させないでください。偽りの証人どもが私に立ち向かい、暴言を吐いているのです。」とありますが、それはまさしくイエス様ご自身が経験されたことでした。キリスト者になったことによって迫害され捕らわれの身になったパウロは「兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。というのは、私はしばしばあなたがたに言ってきたし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。」と語ってから、「けれども私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリピ人への手紙3章20節ー21節)」と、また今日の聖句が「今日の聖句が「ああ、私に、生ける者の地で主のいつくしみを見ることが信じられなかったならー待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」と語っているように、心が萎えてしまうような時、私たちは滅びる者ではなく天に国籍があることを思い起こし、再臨される主を待ち望んで、主からの力と勢いをいただいて(イザヤ書40章30節ー31節)生きようではありませんか。