みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。(箴言16章20節)
1.詩篇19篇7節ー8節
2.箴言4章20節ー23節
3.マタイの福音書6章19節ー21節
4.ヤコブの手紙1章12節ー25節
イエス様が「先生。永遠のいのちを得るためにはどんな良いことをしたらよいのでしょう。」と尋ねた金持ちの青年に「なぜ、良いことについてわたしに尋ねるのですか。良い方はひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」と話されると、青年は「どの戒めですか」と尋ねたので、「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証してはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と話されると、彼は「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょう。」と尋ねたので「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」と言われると、そのことばを聞くと、悲しんで去って行ってしまったのですが、その理由として「彼は多くの財産を持っていたからである。」と語っています(マタイの福音書19章16節ー22節)。彼はせっかく霊的なものを求めてイエス様のもとに来られたのに、彼はイエス様のことば、すなわちみことばではなく財産に心を留めていたので、主に拠り頼むことができなかったのでした。今日の聖句はまず「みことばに心を留める者は幸いを見つける。」と語ってから「主に拠り頼む者は幸いである。」と語っています。幸いな人生を歩むためにパウロが「この世と調子を合わせてはいけません。(ローマ人への手紙12章2節)」と語っているように、この世に生きている限り、この世のものは必要ですが、世の人々のようにこの世のものに心を留めるのではなく、主に拠り頼む者として生きるために、主がどのような方なのかを示し、私たちを育成してくださるみことばに(使徒の働き20章29節ー32節)心を留めて生きるようにしようではありませんか。