何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。(ヨハネの手紙第一5章14節)
1.コリント人への手紙第一2章7節ー12節
2.ローマ人への手紙12章2節ー3節
3.ガラテヤ人への手紙5章16節ー25節
4.テモテへの手紙第一2章1節ー6節
主から「あなたに何を与えよう。願え。」と声をかけられたソロモンの願いは、自分のために長寿や富を、敵のいのちを求めず、「自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力」でしたので、主は彼の願った知恵の心と判断する心とを与えるだけでなく彼が求めなかった富や誉れも与えることを約束されたのですが、彼が主に「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょう。」と申し上げたように、「自分のために」と書いてありますが、自分が間違った判断をしないためであり、それは主の民のことを考えてのことであったのですが、その秘訣はソロモンは主を愛しておられたことにあるのではないでしょうか(列王記第一3章3節ー13節)。自分を愛していると、神のみこころを求めず、自分の欲を満たすような願いを持ちやすいものですが、そのような願いや祈りも主はすべて聞いておられますし、私たちに神のみこころを知っておられる神の御霊が与えられているので、自分が願っていることが神のみこころにかなうものであるかどうか、実は知っているのではないでしょうか。今日の聖句が「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」と語っているように、私たちの確信は自分に対してではなく、神に対するものであることを心に据えて、私たちの願いが自分からのものなのか主から与えられた志しなのかわからないような時、私たちの心のうちを正直に主に申し上げ、結果は主がもたらしてくださるという信仰で生きようではありませんか。