私たちの主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。(ペテロの手紙第二3章18節)

1.ヨハネの福音書1章14節ー17節
2.ローマ人への手紙5章20節ー6章11節
3.エペソ人への手紙1章17節ー23節
4.コロサイ人への手紙1章3節ー12節

パウロはキリスト者を迫害していましたが、キリストを知ったことによって、恵みによって救われること(エペソ人への手紙2章1節ー9節)、律法による自分の義ではなくキリスを信じることによって神から与えられる神の義を知る者となられ(ピリピ人への手紙3章4節ー9節)、同胞のイスラエルの民について「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。」と、そして「私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。キリストは律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。(ローマ人への手紙10章1節ー4節)」と、語っているのは彼自身が経験したことに基づいているのではないでしょうか。主はペテロがサタンの試みに会ってイエス様を三度否定することや信仰がなくならないように祈られたことをペテロに告げるだけでなく、死からよみがえられたイエス様の方からペテロにご自身を現されたのでした。私たちもサタンの試みに会い、さまざまな失敗をしますが、ペテロが「私たちの主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。」と勧めているようにに、成獣したキリスト者となるために、パウロのようにこの世の知識よりも聖書のみことばによって知らされている知識、すなわち、死からよみがえられた恵みとまことに満ちておられ、パウロが「罪の増し加わるところには恵みも満ちあふれました。(ローマ人への手紙5章20節)」と語っているように、罪に定められないようにとりなしていてくださるイエス様を、キリスト・イエスにある神の愛を忘れずに、主の栄光を誉めたたえて生活しようではありませんか。