イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから、私たちの神であり、救い主であるイエス・キリストの義によって私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ。(ペテロの手紙第二1章1節)

1.ローマ人への手紙3章19節―30節
2.ローマ人への手紙9章30節―10章4節
3.ピリピ人への手紙3章1節―9節
4.ペテロの手紙第一1章18節―21節

イエス様は「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパロサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。(マタイの福音書5章20節)」と話されました。パウロは律法学者やパリサイ人の義について「律法による自分の義」と語る一方、キリストを信じることによって神から与えられる義について語っていることからもわかるように、律法学者やパリサイ人の義にまさる義は神の義であり、しかも「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として公にお示しになりました。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためでした。」と語っているように神の義は十字架の死をもって現され、恵みによって与えられるためにペテロは「私たちの神であり、救い主であるイエス・キリストの義によって私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ。」と、キリスト者の信仰は尊いものであることを語っているのではないでしょうか。自分で自分の信仰を卑下するようなことをせず、イエス様を見上げて恵みを無駄にしないように、尊い信仰が与えられていることを自覚しようではありませんか。