昔書かれたものは、全て私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。(ローマ人への手紙15章4節)
1.ローマ人への手紙4章25節ー5章5節
2.テモテへの手紙第二3章16節ー17節
3.ヘブル人への手紙11章1節ー40節
4.ヤコブの手紙7節ー11節
パウロは「昔書かれたものは、全て私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。」と、、興味深いことに、パウロは、この世の人々のように自分の力でただ我慢し、じっと耐えるような忍耐でも、一時的な効果があっても解決を与えることができないような人からの慰めや励ましではなく、昔書かれたもの、すなわち旧約聖書の記事はキリスト者に忍耐と励ましを与え、希望をもたらすことができるほど、効果のあるものであることを語っています。ヘブル人への手紙11章には「信仰によってアベルはカインよりもすぐれたいけにえをささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。」と、創世記から始まって旧約聖書時代のさまざま信仰者の名前と、彼らの生き方が記述していますが、その中には「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れったので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。(31節)」とありますし、ヤコブの手紙5章10節ー11節には「苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。」とあります。旧約聖書の信仰者と主との関わりを見ると、神の恵みとあわれみの深さを見ることができ、励まされるだけでなく、希望が生まれ、主を信頼して生きるようになれるのではないでしょうか。