お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ人への手紙4章32節)
1.マタイの福音書5章21節ー26節
2.マタイの福音書18章21節ー35節
3.コリント人への手紙第二2章9節ー11節
4.コロサイ人への手紙3章2節ー15節
パウロは「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったまませいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。(エペソ人への手紙4章26節ー27節)」と、人は怒ったり憤ったりする者であることを認めた上で、悪魔に機会を与えない、すなわちエバを誘惑して罪を犯すように仕向けたように、キリスト者が自分の考えや自分の思いで物事を判断して、神や十字架で示された神の愛を忘れさせようとして機会を狙っている悪魔の誘惑から守られるために、いつまでも怒ったり憤ったりし続けないように勧告してから、「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」と勧めています。イエス様はたとえ話として、一万タラント(60000000デナリで、一日の収入が1デナリとすると164384年分)の借金を免除されたしもべが、自分に百デナリの借金のあるしもべの首を絞めて「借金を返せ」と言い、借金を返すまで牢に入れてしまったことを知った主人は怒って「悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私がおまえをあわれんだように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。」と言って借金を全部返すまで獄吏に引き渡したのでした。彼は自分の借金が完全に免除されたことが信じられず、何とか少しでも返そうと思ったのでしょう。お互いに親切にし、心の優しい人になる秘訣は、赦し合うこと、と語っていますが、それを可能にし実践することができるのは、十字架の死を無駄にしないように、キリストを信じたことによって一万タラント、すなわち全生涯の罪が赦されていることを疑わず、感謝することにあるのではないでしょうか。