咎は私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。(詩篇65篇3節)

1.詩篇32篇1節ー5節
2.マタイの福音書12章31節ー32節
3.マルコの福音書3章20節ー30節
4.ヨハネの手紙第一1章5節ー2章2節

ダビデがゴリアテを打ったことをきっかけにイスラエルとユダの人々は立ち上がり、ときの声をあげてペリシテ人と戦いに勝利してペリシテ人の陣地を略奪して凱旋すると、町々から女性たちが出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながら、サウル王を迎えたのですが、「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」と笑いながら繰り返し歌ったために、ダビデはサウルからいのちを狙われることになったために、主に拠り頼むよりも自分の考えで自分のいのちを守ろうとして行動し、「咎は私を圧倒しています」と告白しているように、さまざまな罪を犯したのですが、「しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。」と自分だけでなく、主は多くの人々の罪をも赦してくださる方であることを語っています。イエスさまは「人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。(マタイの福音書12章31節ー32節)」と仰せられたのはパリサイ人や律法学者が「イエスは、汚れた霊につかれている(マルコの福音書3章30節)」と言ったためでしたし、ステパノは「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。(使徒の働き7章51節)」と語っています。キリスト者は御霊による心の割礼を受けており(ローマ人への手紙2章29節)、全生涯の罪が赦されていることを忘れず、恵みの上にさらに恵みを受けていることを(ヨハネの福音書1章16節)感謝し、恵みを無駄にしない生き方をしようではありませんか。