知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊。(詩篇100篇3節)

1.ヨハネの福音書10章7節ー16節
2.コリント人への手紙第一6章19節ー20節
3.ピリピ人への手紙3章2節ー15節
4.ペテロの手紙第二1章1節-11節

今日の聖句は「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊。」と、主が神であること、私たちは主のもので主の民であること、主の牧場の羊である、という三つの点を知るように勧めています。ところで、ヨハネの福音書1章18節は「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」とイエス様が「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。(ヨハネの福音書14章7節)」と、イエス様を知ることが神を知ることになることを語っています。パウロは神に熱心でもキリスト者を迫害していたのですが、キリストを知ることによって神を知る者となられただけでなく、「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。(エペソ人への手紙2章10節)」と、キリスト者はイエス様が仰せられたようにイエス様を信じることによって聖霊によって新しく生まれた者であり(ヨハネの福音書3章3節ー7節)、神の子(ローマ人への手紙8章15節ー18節)、神の民とされていることを知る者となられ乏しいことがないことを語りました(コリント人への手紙第二6章10節)。イエス様がどのような方か知ったペテロは「神と、私たちの主であるイエス・キリストを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。」と祈っておられます。日々、恵みと平安をいただいて生活するために恵みとまことに満ちておられる神を知る者として生きるために、主の牧場、すなわちこの世ではなく神の国に属する者であり、羊とされていること、すなわち私たちを見守り養ってくださる羊飼いであるイエス様がいつも共におられることを忘れずに生きるように心がけようではありませんか