何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。(コロサイ人への手紙3章23節)
1.マタイの福音書25章31節ー40節
2.使徒の働き26章9節ー20節
3.ローマ人への手紙12章2節ー10節
4.エペソ人への手紙6章5節ー9節
イエス様は「人に見せるために人前で善行を行わないよう気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。(マタイの福音書6章1節ー2節)」と、善行や施し自体が問題なのではなく、前項や施しをする人の動機が不純であることを指摘されたのでした。人には強いか弱いかの差があっても他者からほめられたいという願いや思いがあるのではないでしょうか。 神を考慮しないと、はじめは好意でしたはずなのに、ちょっとした感情の行き違いによって恩着せがましい態度に一変して、かえってその人との関係に亀裂が亀裂が起きたり、時には高ぶりをもたらしてしまい、互いに心が傷ついてしまうようなことがあるのではないでしょうか。なぜなら、動機が神の愛ではないからではないでしょうか。イエス様は「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」と仰せられ十字架の死まで従われ、神の愛を示されたのでした。キリスト者には聖霊が与えられ神の愛が心に注がれているだけでなく、恵みによって各人に賜物が与えられていますが、ペテロの手紙第一4章10節は「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」と勧めています。今日の聖句「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」を心に据えて実践するなら、高ぶりから守られ、人間関係も麗しいものになるのではないでしょうか。