私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ローマ人への手紙12章3節)

1.ルカの福音書17章3節―6節
2.ルカの福音書22章31節―34節
3.ヘブル人への手紙12章2節―11節
4.ペテロの手紙第一1章18節―21節

イエス様が弟子たちに「もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して一日七度罪を犯しても、『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」と忠告されると、弟子たちは「私たちの信仰を増してください。」とお願いしたのですが、イエス様は「もし、あなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、言いつけどおりになるのです。」と応えられたのでした。一方、イエス様が弟子たちに彼らがつまずくこと、ご自身が死からよみがえって弟子たちより先にガリラヤに行くことを仰せえられると、ペテロが「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」と言ったので、イエス様は彼がサタンに試みられること、彼の信仰がなくならないように祈られたこと、彼が三度イエス様を知らないということを話されたにもかかわらず、彼が「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と言うと、弟子たちもみなそう言いましたが、イエス様が仰せられたように彼らは挫折したのでした(マタイの福音書26章31節―35節 ルカの福音書22章31節―32節)。その経験を踏まえてペテロは信仰はイエス様によって与えられること、信仰と希望は神にかかっていることを告白されました(使徒の働き3章16節、ペテロの手紙第一1章21節)。他のキリスト者と自分を比較して福音書のペテロのように自分の信仰を誇るようなことのないように、自分には信仰がないように思えて落ち込むことのないように、今日の聖句を思い起こし、信仰を与えてくださっている信仰の源である主を仰ぎ見て生きようではありませんか。