わたしはあなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がせてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネの福音書14章27節)

1.ヨハネの福音書16章24節―33節
2.ヨハネの福音書20章19節―29節
3.ピリピ人への手紙4章6節―7節
4.ヨハネの手紙第一3章18節―20節

イエス様は「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がせてはなりません。恐れてはなりません。」と、約束されたのは、心を騒がせたり、恐れたりすることをご存知であったがゆえであり、私たちもイエス様を信じていても心を騒がせたり、恐れたり、思い煩ったりするのではないでしょうか。イエス様が与えると約束された平安はギリシャ語の「エイレーネー」で、関係を意味するものであり、イエス様と父なる神との関係にみられるように、神と人との関係を意味するものであるために、世が与えるものとは違うことを話されたのでした。死からよみがえられたイエス様は弟子たちに「平安があなたがたにあるように。」と言ってからご自身の手やわき腹を彼らに示されてからもう一度「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」と、息を吹きかけて「聖霊を受けなさい。」と仰せられたのは、御霊は私たちにイエスが語られたことを思い起こさせてくださるからではないでしょうか(ヨハネの福音書14章26節)。不信感をもったトマスがいるときにもご自身を現されて「平安があなたがたにあるように。」と仰せられたのでした(ヨハネの福音書20章19節―26節)。ヨハネは私たちの心が責めるようなことがあっても、神は私たちの心よりも大きく、何もかもご存知であるがゆえに神の御前に心を安らかにするように勧めています。どんなことも益としてくださる主を仰ぎ見て主からの平安をいただいて生きようではありませんか。