まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。(詩篇18篇31節−32節)
1.詩篇37篇23節―24節
2.ローマ人への手紙8章28節―34節
3.エペソ人への手紙6章10節―17節
4.ペテロの手紙第一5章6節―11節
イエス様は弟子たちに「わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。(ヨハネの福音書16章7節)」と話されてから、昇天される前に「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。・・・聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章4節―5節及び8節)」と、この世や人の力ではなく、イエス様を死からよみがえらされ神の力が与えられることが約束され、五殉節に聖霊が下ったことによって主を信じるすべてのキリスト者に与えられているのです。この世には「神」と言われる神々が数えきれないほど存在しますが、その成り立ちは人の知恵や人の手によって祭り上げられたもので、空想の産物であり罪や死の解決を与えるものではなく、力のないものであることは明白なことです。聖霊に満たされた弟子たちは恐れから解放され大胆に福音を語ったのでした。今日の聖句が「まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。」と語っているように私たちが信じている神はどのような方なのかをしっかりと認識し、力を与えてくださる「岩」であるイエス様が歩むべき道を「完全にされる」、すなわちすべてのことを益としてくださり「傷のないもの」としてくださることを感謝して生きようではありませんか。