あなたがたはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(コリント人への手紙第二3章18節)

1.イザヤ書43章1節ー7節
2. イザヤ書60章1節―2節
3.ヨハネの福音書12章20節―29節
4.コリント人への手紙第一6章19節―20節

世の人々はこの世の栄光をもとめて努力をしていますが、そのような栄光は一時的なものではないでしょうか。そのような栄光は誇れるようなものではないことをパウロは語りましたが(ピリピ人への手紙3章19節)、今日の聖句は「あなたがたはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」と、すべてのキリスト者の人生は栄光からスタートしていること、しかもその栄光は神の栄光であり、人の努力によるものではなく御霊の働きによるものであり、しかもその輝きは増していくものであることを語っています。律法を与えられたモーセが「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」と申し上げると、主は主が通り過ぎたうしろを見ることを許されたのでした。主と話したモーセの顔のはだは光を放っていましたが、やがて消え去るような栄光でしたので顔におおいをしていましたが(出エジプト記33章18節―23節、34章29節ー35節、コリント人への手紙第二3章13節)、イエス様が律法を成就してくださり恵みとまことを実現してくださったことによって、恥となるような栄光でも、消え去るような栄光ではなく、主の栄光を反映させながら、その輝きを日々増していくような永遠の栄光の中で生かされているのです(ペテロの手紙第一5章10節)。主の栄光を反映させながら生きるために、信仰の完成者であり、どんなできごとをも益としてくだる主を仰ぎ見て生きようではありませんか。