どうか悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は、心と思い(口語訳:心とはらわた)を調べられます。(詩篇7篇9節)

1.箴言23章15節―17節
2.詩篇26篇1節―7節
3. 詩篇37篇1節―15節
4.ヘブル人への手紙4章12節―13節

人はとかく心と思いは同じものと考えがちですが、聖書は今日の聖句にあるようにたびたび「心と思い」と語っているように、そこには違いがあることを語っています。箴言19章21節が「人の心には多くの計画がある。」と、「心(ヘブル語:レーブ)」は情緒的なものではなく知性に関わるものである一方、「思い(ヘブル語:キルヤー)」は「腎臓、はらわた」という意味があり、強烈な怒りがこみ上げてくると「はらわたが煮えくりかえる」ということばにも見られるように情緒的なものであることを意味しているます。ところで、パウロが「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。(エペソ人への手紙4章26節)」と語っているように、情に支配されると怒ったり憤ったりしてしまうと人を傷つけるようなことばを発して罪を犯してしまうのではないでしょうか。ヤコブの手紙1章20節―21節が「人の怒りは、神の義を実現するのではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」と、ピリピ人への手紙4章6節―7節が「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と勧めているように心と思いが守られるために主を仰ぎ見るとともにみことばに生き、今日の聖句「どうか悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は、心と思い(口語訳:心とはらわた)を調べられます。」を心に据えて、独裁者が改心するように祈ろうではありませんか。