「どうして昔のほうが今より良かったにか」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。(伝道者の書7章10節)

1.民数記11章4節―23節
2.伝道者の書12章1節―2節
3.エズラ記3章8節―13節
4.ピリピ人への手紙3章2節―15節

イスラエルの民が欲望や恐れに支配されると神の約束や神がどんな偉大な方であるかを忘れて、エジプトで苦しい生活をおくっていたことを忘れてエジプトを懐かしんで信仰の歩みができない状態になってしまったように、神殿の礎が据えられた時「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」と賛美したにもかかわらず、最初の宮を見たことのある老人たちは大声をあげて泣き、喜ぶことができなかったように(エズラ記3章12節)、クリスチャンであっても過去と現在を比較して昔を懐かしんで過去に生きてしまうことがあるのではないでしょうか。神から知恵の心と判断する心を与えられたソロモンは「『どうして、昔のほうが今より良かったのか』と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。」と、過去を振り返って生きるような生き方は知恵のない生き方であることを語っています。パウロは誇ろうと思えばほかの誰よりも誇れる過去があると同時に教会を迫害していた過去がありましたが、過去の栄光や失敗にとらわれて生きたのではなく、「ただ、この一時に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標目ざして一心に走っているのです。ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。(ピリピ人への手紙3章5節―15節)」と、テモテに「ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえられたイエス・キリストをいつも思っていなさい。(テモテへの手紙第二2章8節)」と勧めています。過去がどうであれ今をどのように生きるかが大切であることを心に据えて知恵のない生き方をしないようにしようではありませんか。