御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。(ヘブル人への手紙1章3節)

1.ヨハネの福音書12章20節―28節
2.ローマ人への手紙8章28節―38節
3.エペソ人への手紙1章20節―21節
4.ヘブル人への手紙10章14節―23節

今日の聖句「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」は、御子イエス様がどのような方であり、どのようなことを成し遂げられたかを語っています。イエス様は死からよみがえられたことによって朽ちるような栄光ではなく神の永遠の栄光を輝かされましたし、罪人の代わりに十字架にかけられながら「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と驚くべきことに人々のためにとりなして祈られ神の愛を示された恵みとまことに満ちておられるイエス様こそ、「父とわたしはひとつです(ヨハネの福音書10章30節)。」と仰せられたことから、神の本質を完全に現すことができたのでした。イエス様は「わたしが語ったことばは霊でありいのちである。」と、また「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びません。(マタイの福音書24章35節)」と、みことばの威力を語られたように、「光あれ」と仰せられると光があったように、みことばをもって天地万物を創造しただけでなく今もみことばによって万物は保たれていることを今日のみことばは語っていますし、ヘブル人への手紙10 章22節が「私たちは、心に血の注ぎを受けたので邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」と勧めているように、十字架で罪のきよめを成し遂げられ死からよみがえられ昇天され神の右に座しておられ罪に定められないようにキリスト者のためにとりなしておられるのです。恵みとまことに満ちておられるだけでなく永遠の栄光に輝く主を仰ぎ見て生きようではありませんか。