神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(コリント人への手紙第二5章21節)
1.ローマ人への手紙3章23節―26節
2.ローマ人への手紙7章15節―8章3節
3.コリント人への手紙第一1章18節―31節
4.ピリピ人への手紙3章2節―9節
ヤコブの手紙1章14節―15節が「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。(ヤコブの手紙1章14節―16節)」と警告したように、悪魔の誘惑にあったエバとアダムが自分たちの欲に負けて、神が禁じた善悪の知識の木から取って食べて罪を犯したことによって、アダムはその責任をエバに転嫁し、その関係に歪みが起きてしまい(創世記3章1節―12節)、カインは自分と自分のささげ物に主が目を留められなかったことにひどく怒り、「あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきだ。」と、神から注意を受けていたにもかかわらずアベルを殺害してしまったのでした(創世記4章1節―8節)。アダムやカインが神から警告を受けていたにもかかわらず神のことばに従えなかったように、キリスト者もことばや行いで失敗しない人はいません(ヤコブの手紙3章2節)が、今日の聖句が「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」と語っているように、イエス様を信じる者は罪に定められることがないばかりか、神の義とされ、死後、罪を裁かれ永遠の死に追いやられることがなく、死も悲しみも苦しみもない天国(黙示録21章4節)で永遠に神とともに生き続ける永遠のいのちが与えられていることを忘れずに感謝するとともに、人々がイエス様を心にお迎えするように祈ろうではありませんか。