私は栄光輝くあなたの主権と、あなたの奇しいわざに思いを潜めます。(詩篇145篇5節)
1.詩篇105篇1節―7節
2.コリント人への手紙第一1章18節―25節
3.エペソ人への手紙1章17節―22節
4.ピリピ人への手紙2章6節―11節
今日の聖句「私は栄光輝くあなたの主権と、あなたの奇しいわざに思いを潜めます。」は「主の主権」と「主の奇しいわざ」の二つのことがらを熟考するように勧めています。主権は物事を決定する権威ですが、主の主権は単なる権威ではなく栄光に輝くものであることを今日の聖句が語っているのは、パウロが「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(エペソ人への手紙1章20節―21節)」と語っているように、この世の神々や人の権威では絶対に成し得ることができない死からのよみがえりをもって現わされた永遠の主権であるからではないでしょうか。詩篇105篇5節は「主が行われた奇しいわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを」と勧めています。主はイスラエルの民を救うために、紅海を二つに分けらるという奇蹟を起こされ、民が無事対岸に渡り終えると海水を戻され、追って来たエジプト軍全員を溺死させたのでした。神は義なる方であるため、罪を裁かれますが、神は愛でもあるために御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり、十字架において罪を処罰され、イエス様を信じる者の全生涯の罪を取り除いてくださるだけでなく、神の子という立場を、永遠のいのちを与えてくださったのでした。今日の聖句が勧めているように、心が疲れ元気を失って気落ちするような時など主がどのような方で、どれほど力のある方であるかを思い起こそうではありませんか。