主よ、あなたは私を探り、私を知っておられます。(詩篇139篇1節)
1.ルカの福音書22章31節―34節及び54節―62節
2.ヨハネの福音書2章23節―25節
3.ヨハネの福音書21章15節―19節
4.ヘブル人への手紙4章14節―16節
サムエルはエリアブを見て「主の前で油を注がれる者だ」と思ったのですが、主は「彼の容貌や背の高さを見てはならない。人はうわべを見るが、主は心を見る。」と仰せられ、父エッサイも考慮しなかった末っ子のダビデを主は選ばれたのでした(サムエル記第一16章6節―12節)。サウルは勇気のある者や、力のある者を見つけると、その者をみな、召しかかえたように見た目で判断して軍隊を構成しましたが、身長が2m86cmもあり、よろいは57kg,槍の穂先が鉄で6840gもの武器を持ったゴリアテが一対一で戦うことを提案したのですが、サウルとイスラエルのすべては意気消沈し恐れてだれひとり彼と戦おうとしなかったのでした。しかし、勝利は主が与えることを知っていたダビデが「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの先陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。きょう、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを打って、おまえの頭を胴体から離し、きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。」と大胆に宣言したように石投げで放った一つの石をもって主は勝利を与えられたのでした。ダビデが「主よ、あなたは私を探り、私を知っておられます。」と語っているように、彼は多くの罪を犯しましたが、主が彼を選ばれたのは過ちを犯すたびに罪を認め主に立ち返ことをご存じだったからではないでしょうか。イエス様は、目に見えるものにとらわれて判断ミスをして悔いるようなことをしてしまう私たちの心の弱さをよくご存じで、罪に定められないように、信仰がなくならないように祈っていてくださるので、キリスト・イエスにある神の愛は私たちの行いによって左右されるようなものではないことを心に据えて生きようではありませんか(ローマ人への手紙8章38節―39節)。