主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。(詩篇25篇12節)

1.詩篇32篇8節―9節
2.イザヤ書30章21節―22節
3.ヨハネの福音書10章11節―16節
4.ヨハネの福音書14章1節―6節

手段は色々ありますが、目的地に向かうためには道は欠くことのできない大切なものです。道を誤ると目的地につかないどころか迷ってしまい自分がどこにいるのかも定かでなくなり不安や恐れが襲ってくるのではないでしょうか。ところで、箴言16 章25節は「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死である。」と、語っていますが、イエス様は「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネの福音書14章6節)」と、この世や人の知恵によっては獲得できない目的地、すなわち天国への道は唯一であること話されたのでした。イエス様とともに十字架にかけられた二人の犯罪人はイエス様をあざけった祭司長たちや律法学者たちといっしょにののしりましたが(マルコの福音書15章32節)、そのような人々のために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」ととりなされた祈りはひとりの犯罪人の心を変えて悪口を言っているもうひとりの犯罪人に「おまえは神をも恐れないのか。」とたしなめられてからイエス様に「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げると、イエスさまは「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と仰せられたのでした(ルカの福音書23章39節―43節)。主は民のことをよくご存知で近道を行かせず荒野に導きましたが、主は紅海を二つに分けられ(出エジプト記13章17節―14章28節)、ヨルダン川をも二つに分けられ(ヨシュア記3章14節―17節)、人の目に見えない神の道を明らかにされたのでした。人の目には見えなくても神の道、いのちの道をあることを、今日の聖句「主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。」を心に据えて、良い羊飼いである主がどんな偉大な方であるかを忘れずに主を信頼し、主の声、すなわち、恵のみことばに生きるようにしようではありませんか。