恵みとまことによって、咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。(箴言16章6節)

1.イザヤ書53章1節―12節
2.ヨハネの福音書1章14節―17節
3.エペソ人への手紙2章1節―9節
4.ヨハネの手紙第一1章5節―2章2節

石原慎太郎氏のように亡くなったらその存在は消滅するように考えておられる方がおられる一方、一般的によっぽどの悪人でない限り、みな天国に行けると考えられていますが、人は死後神のさばきにあうことを(ヘブル人への手紙10章27節)、しかもパウロは「私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。(コリント人への手紙第二5章10節)」と語っていますが、イエス様が、イエス様のことばを聞いて神を信じる者はさばきにあう事なく、すでに死からいのちに移されていることを語ったように(ヨハネの福音書5章24節)、恵みを知ったパウロが「主はやみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(コリント人への手紙第一4章5節)」と、語っているように、全生涯の罪や咎は十字架で支払われているので、キリスト者には称賛が届くと語っています。詩篇32篇1節―2節は「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。」と、創造者なる神を考慮しないこの世が、人が与えることのできない幸いについて語っています。今日の聖句「恵みとまことによって、咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。」を心に据えて、恵みとまことを実現されたイエス様によって咎は贖われていることを感謝するとともに、「悪を離れる」ために十字架のイエス様を忘れず、主が喜ばれるように生きようではありませんか。たとえ、肉に支配されて失敗しても、イエス様がとりなしていてくださることを、すべてのことを益としてくださる主を仰ぎ見て、自分を自分で罪に定めたり、自分に失望したりせず恵みの中を生き続けようではありませんか。