私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。(ピリピ人への手紙4章19節)

1.詩篇23篇1節―6節
2.詩篇107篇4節−9節
3.マタイの福音書6章27節―33節
4.マタイの福音書7章7節―11節

国の勢力は軍事力と経済力によって決められるような世界であるために、人々はこの世の富や力、栄光を求めますが、パウロは「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」と人にとって本当に必要な富は朽ちていくようなこの世の富でも栄光でもなく、永遠性をもった富や栄光であり、最も必要な罪の赦しと死後の保証、すなわち永遠のいのちであり、それは十字架の死と復活によって栄光をあらわされたキリスト・イエスによるものであることを踏まえて語っているのではないでしょうか。イエス様は「また、祈るとき、異邦人のようにい同じことばを、ただ繰り返してはいけません。彼らはことば数がお多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」と仰せられましたが、パウロが癒しを祈っても「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と彼の願いであるいやしは起こりませんでしたが、それは、彼が高ぶらないためだけでなく、キリストの力がおおうためであることを悟ったのでした。ヤコブの手紙4章3節には動機が悪いと祈りが聞かれないことを語っています。神は私たちが本当に必要としているものと、私たちが欲しいと願っているものが本当に益となるかどうかを識別される方であることを心に据えて、自分が思っているような結果が得られなくても、パウロのようにそこには神のご計画と目的があることを認めるようにしようではありませんか。