私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(コリント人への手紙第二3章18節)

1.イザヤ書43章1節―7節
2.ローマ人への手紙7章24節―8章3節
3.コリント人への手紙第一6章19節―20節
4.ペテロの手紙第一5章7節―11節

パウロは「兄弟たち。私を見習ってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるのです。彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。(ピリピ人への手紙3章17節―19節)」と、どんな素晴らしい栄光を手にしても、その動機は欲望であり、永遠の栄光ではないことを語っていますが、今日の聖句は「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」とキリスト者の人生は、イエス様を信じたことによって与えられる御霊の働きによって、恥となるような、モーセが消え失せるものの最後をイスラエルの人々に見せないように、顔におおいをかけなければならないような、消え去ってしまうような栄光ではなく(コリント人への手紙第二3章13節)、栄光から栄光、とその輝きが増すものであり、しかもそれは御霊の働きであることを語っています。ですから、パウロは御霊を消さないように(テサロニケへの手紙第一5章19節)、御霊を悲しませないように(エペソ人への手紙4章30節)勧めているのではないでしょうか。恵みによって与えられている永遠の栄光(ペテロの手紙第一5章10節)を陰らせてしまわないように信仰の創始者であり、完成者であるイエス様を仰ぎ見て生きようではありませんか。