神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ書30章15節)
1.詩篇18篇30節―32節
2.詩篇42篇6節―11節
3.イザヤ書40章27節―31節
4. 哀歌3章22節―26節
激しい欲望にかられたイエスラエルの民に混じってきていた者と一緒になって民が「肉が食べたい。」と言ったので、主はモーセに肉を一ヶ月与えることを約束されたのですが、モーセは多くの奇蹟を体験していたにもかかわらず、「私といっしょにいる民は徒歩の男子だけでも六十万です。しかもあなたは、彼ら肉を与え、一月の間食べさせる、と言われます。彼らのために羊の群れ、牛の群れをほふっても、彼らに十分でしょうか。彼らのために海の魚を全部集めても。彼らに十分でしょうか。」と、申し上げたので、主は「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今にわかる。」と仰られ、海の向こうからうずらを与えられたので、最も少なく集めた者でも2300リットル、すなわち1リットルの牛乳パックで言えば2300パックも与えられたのでした(民数記11章4節ー32節)。みことばによって神がどんな偉大な方であるかを知っているキリスト者であっても、思いがけない出来事や試みに会うと、慌ててしまい、神の御前で静まるよりも、瞬間的に自分の考えに走ってしまいがちになるのではないでしょうか。パウロは「ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。(コリント人への手紙第一1章24節―25 節)」と、語っています。神からの力や知恵を得るために、「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」と仰せられた主のことばを忘ず、心を静め、主がどのような方であるかを思い起こし、パウロの「ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったいつもキリスト・イエスを、いつも思っていなさい(テモテへの手紙第一2章8節)」という勧めに従って、だれよりも主を信頼して生きようではありませんか。