感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。(詩篇50篇23節)

1.詩篇116篇5節―17節
2.ルカの福音書22章14節―20節
3.テサロニケへの手紙第一5章15節―18節
4.ヘブル人への手紙12章2節―13節

イエス様はサマリヤの女性に「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから。神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。(ヨハネの福音書4章23節―24節)」と神が求めておられるのは真の礼拝者であることを話されました。ところで、礼拝する、ということは自分を低くする必要があるのではないでしょうか。今日の聖句は「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」と、感謝できないようなことがあっても神の主権をみとめて感謝する、すなわち感謝のいけにえをささげる人こそ真の礼拝者であることを語っているのではないでしょうか。イエス様はパンを取り、感謝をささげてから、裂いて弟子たちに与えて「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」と仰せられたのでした。驚くべきことにゲッセマネの園で「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコの福音書14章36節)」ともだえ苦しんで祈られましたが、ご自身の死を、感謝をもって受け入れられたのでした。信仰の創始者であり完成者であるだけでなく、感謝のいけにえをささげられた真の礼拝者であるイエス様を仰ぎ見て、自分勝手な道を歩むのではなく、神の恵みと愛に心から感謝して生きるようにしようではありませんか。