私は栄光輝くあなたの主権と、あなたの奇しいわざに思いを潜めます。(詩篇145篇5節)

1.ローマ人への手紙7章18節―8章3節
2.エペソ人への手紙1章20節―21節
3.ピリピ人への手紙2章6節―11節
4.テモテへの手紙第一6章9節―16節

神はアダムに「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。」と自由意志を与えられる一方「しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と主のことばで生きることを命じられたのですが、サタンは「あなたがたは決して死にません。」と、神のことばを完全に否定しただけでなく「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」といかにも本当の理由を自分は知っているかのように語りかけたので、神の警告を直接聞いていなかったエバだけでなくはアダムも取って食べて罪を犯したために神が仰せられたように死が臨むことになったのですが、神は御子イエス様をお遣わしくださり、十字架の死をもって罪と死から救われる道を開いてくださっただけでなく、イエス様を信じる者には永遠のいのちを与えられたのですが、それは人の知恵では考えられないような道であり、それは神の主権と恵みによるものでした。しかも、驚くべきことに祭司長や民の長老たち全員がイエス様を死刑にしようと協議してピラトに引き渡した動機がねたみであることにピラトが気づいたのでした(マタイの福音書27章1節―2節及び18節)。ところで彼らがピラトの意見に同意していたなら、十字架の刑は執行されなかったでしょう。今日の聖句が「私は栄光輝くあなたの主権と、あなたの奇しいわざに思いを潜めます。」と語っているように、肉の行いであるねたみさえも主の栄光に変えることのできる偉大な神であることを、栄光に輝いた主権は死者の中からのよみがえりをもって現された神にあることを忘れずに生きようではありませんか。