兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。(ガラテヤ人への手紙5章13節)
1.ローマ人への手紙6章17節―23節
2.コリント人への手紙第一6章12節―20節
3.コリント人への手紙第一10章23節―31節
4.ガラテヤ人への手紙5章16節―24節
30年ほど前になりますが、千葉県の九十九里に別荘をもっておられた友人から「いつでも使ってください」と別荘の鍵をいただいていましたので、私の家族とある牧師先生と先生の息子さんと一緒に夏休みに二泊三日で出かけました。私はクリスチャンの方がお酒を飲まれても非難することはしませんが、その牧師先生が海からの帰りに、近くのお店でビールやワインを購入され、食事の時、それを飲み始めたのですが、問題は、私たちはお酒は飲まないことをお話ししていたにもかかわらず、主人が勧められてもお断りすると、「牧師だってアルコールぐらいは飲めることを見せたほうがいいんだよ。」と言って再度飲むように勧めたのでした。先生と色々話をしながら「自由」について話が及ぶと、先生は「神はすべてのことを働かせて益としてくださるのだから、何をしても大丈夫」と言われ、話は平行線をたどったので、それ以来その先生にお会いしたことはありません。パウロはコリントの聖徒たちに「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益となるわけではありません(コリント人への手紙第一6章12節)。すべてのことは、しても良いのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。(コリント人への手紙第一10章23節)」と語ってから、神の栄光を現すように勧めています(コリント人への手紙第一6章20節及び10章31節)。今日の聖句「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」を心に据えて、自由をはきちがえないようにしようではありませんか。