まことに、主は仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるものだ。(エレミヤ書29章10節―11節)

1.申命記81節―18
2.伝道者の書1章1節−11節
3.ローマの手紙8章28節ー39節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー12節

イスラエルの民はモーセとともに多くの奇蹟を体験したにもかかわらず、欲や恐れに支配されると神に不信感や懐疑心を抱いて主を信頼せず、神が約束された地を目の前にしながらも約束の地を探ってきた者のうち、その地について悪く言いふらした者たちのことばを信じて「エジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。」と言って「主にそむいてはならない。」と忠告したヨシュアとカレブを石で打ち殺そうとしたので、主は彼らが願ったようにカレブとヨシュア以外の二十歳以上の者たちが荒野で亡くなるために四十年間荒野を旅するようにされたのですが、その間、彼らを昼は雲の柱、夜は火の柱をもって導かれ、彼らの必要を満たされたように、主は常にともにおられ顧みてくださったのです。主はダビデに子孫が罪を犯したときには人の杖や人のむちをもって懲らしめるけれども、「わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。」と仰せられたように(サムエル記第二7章14節ー15節)、罪を犯したためにバビロンに捕囚となった民に対して、70年目には主が顧みてくださり、エルサレムに帰還できるという希望と将来に対する平安を与えられたのでした。すべての人は罪を犯したために死後神に裁かれ永遠の死に追いやられる者であり、将来も希望もない者でしたが、神は御子をお遣わしになり十字架の死と復活をもって、生ける希望(ペテロの手紙第一1章3節)と永遠に神と共に天国で生き続けることができるという将来を与えてくださったのでした。私たちには理解できないようなことが起きても主のご計画があることを忘れないように心がけようではありませんか。