主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。さあ、イスラエルよ、言え。「主の恵みはとこしえまで」と。さあ、アロンの家よ、言え。「主の恵みはとこしえまで」と。さあ、主を恐れる者たちよ、言え。「主の恵みはとこしえまで」と。(詩篇118篇1節―4節)
1.サムエル記第二7章12節―16節
2.詩篇136篇1節―26節
3.ヨハネの福音書1章14節―17節
4.ローマ人への手紙5章20節―21節
おびただしい大軍が攻めて来ることを知らされたヨシャパテ王は恐れたのですが、「私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくだされないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいのかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」と主に助けを求めると、主は「あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではない。神の戦いであるから。あす、彼らのところに攻め下れ。見よ。彼らはツイツの上り道から上って来る。あなたがたはエルエルの荒野の前の谷のはずれで、彼らに会う。この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたとともにいる。」とヨシャパテだけでなくユダとエルサレムの人々をも励まされ、彼らが今日の聖句同様「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」と主を賛美すると、主は伏兵を設け、残党は互いに滅ぼし合い、イスラエルは戦わずして大勝利を得たのでした(歴代誌第二20章1節ー24節)。今日の聖句は民も、アロン、すなわち祭司職にある者も、主を恐れる、すなわち主の偉大さを知っている者も「主の恵みはとこしえまで」と賛美するように勧めているのは、主はイスラエルの賛美を住まいとされておられる(口語訳:賛美上に座しておられる。詩篇22篇3節)ので、主のみわざを、主の力を見ることができるからではないでしょうか。恐れや気落ちするような時こそ、恵みに満ちておられる主を仰ぎ見て「主の恵みはとこしえまで」と主をほめたたえようではありませんか。