幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。(詩篇146篇5節)

1.ローマ人への手紙8章28節ー39節
2.ローマ人への手紙15章8節―13節
3.コリント人への手紙第二4章15節―18節
4.ペテロの手紙第一1章5節―21節

主はモーセが「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名はなんですか』と私に聞くでしょう。私は何と答えたらよいのでしょうか。」と主に伺うと「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と仰せられるとともに「あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、私をあなたがたのところに遣わされた。と言え。」と命じられたのでした(出エジプト記3章7節―15節。ところで、主はすでに、ヤコブにイスラエルと名を変えるように仰せられていたにもかかわらず、今日の聖句も「幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。」と「ヤコブの神」と語っています。父を騙してエサウが受けるべき祝福を手に入れたように、ヤコブの意味は「騙す者、詐欺師」の意味があります。そのようなヤコブに主は土地を与えることやアブラハムに約束されたように子孫は地のちりのように多くなること、地上のすべての民族はヤコブとヤコブの子孫によって祝福されること、いつもともにおられ、どこに行っても守ってくださり、決して捨てないことを約束され、神の恵みを示されたのでした(創世記28章11節―15節)。十字架において恵みとまことを実現されたイエス様を信じたキリスト者にもアブラハムの祝福が与えられていることを(ガラテヤ人への手紙3章13節ー14節)、私たちの行いによってキリスト・イエスにある神の愛や恵みが消滅してしまうようなことがないどころか、イエス様は私たちが罪に定められないようにとりなしていてくださることを感謝し、どんな時にもヤコブの神を信頼して生きるようにしようではありませんか(ローマ人への手紙8章32節―39節)。