私は栄光に輝くあなたの主権と、あなたの奇しいわざに思いを潜めます。(詩篇145篇5節)

1.詩篇24篇7節―10節
2.イザヤ書9章6節―7節
3.ヨハネの福音書13章31節―32節
4.エペソ人への手紙1章20節―21節

イエス様は「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」とご自身を一粒の麦にたとえられてから「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と祈られると、「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう。」という声が天から聞こえたのでしたが、それは復活によって実現したのでした。そのことに関してパウロは「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(エペソ人への手紙1章21節)」と、十字架の死と復活によって現された主の栄光は永遠のものであり、主の主権にかなうものは何もないことを語っています。試練の中で苦しんだり、不安を覚えたりするような時、今日の聖句「私は栄光に輝くあなたの主権と、あなたの奇しいわざに思いを潜めます。」が語っているように、十字架と復活を、主がどのような方であるかを思い起こして主権は主にあることを認めて、主を信頼して生きようではありませんか。